死は私を捉えて離さない
いつからだろう。
思春期の頃からだろうか。小学生高学年くらいかな。
いつも私の側に 「死 」がいた。
私はいじめられっ子ではなかった。むしろ、人気者の部類に入っていたと思う。
それでも、常に「死」は側にいて、ちょっとした隙間を見つけては、顔を出し私を誘惑する。
思春期なんてそんなもの、みんな平気な顔してるけど、みんな辛いんだ。
そう思ってた。
そうなのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。それはわからない。
もしかしたら、人より少し考えすぎるのかもしれない。
そして、私には真実が分かってる。
なんか怪しい宗教みたいだけど、
・私たち人類は滅亡すべきだということ。
・地球にとって害でしかないこと。
・神さま仏さまがもし存在するなら、とっくに人類を滅ぼすだろうし、そもそも人間の形してる時点で間違ってるということ。
・地球の歴史の中では、人類の存在など点にもならないほど短いこと。
生きる意味が、生きなきゃいけない意味が私には理解できない。
でも、3人子供を産み、育て、楽しい生活を送って、孫を抱く日を夢見たりして、歳をとればとるほど、生きることに執着していく。
それが嫌で、私は16歳で死のうと考えていた。
そうすれば、永遠に16歳。
ミーハーだが、風の谷のナウシカが16歳、という理由。
でも結局、いざとなると怖くて死ねなかった。
死は私を捉えて離さないくせに、死への恐怖も私に据え付ける。
私は今まで18年間もらってきた鬱の薬の飲み残しなどをとっておいてあった。
いざという時に使うため。
大量に酒で流し込めば、死ななくても意識くらい飛ぶだろう。
恐怖を飛ばせば、恐怖が薄くなり死ねるだろうと。
しかし、最近処分してしまった。
もう、死にたいとは思わない、と思ったから。
でも、私は双極性障害(躁鬱)。
今は鬱だ。
なんでもかんでも、どーでもいい。
お願いだからほっといて欲しい。
全てがめんどくさい。
泥のように眠り続けたい。
できることなら、消えたい。楽になりたい。
でも、私は怖くて結局死ねない。
堂々巡りだ。
人間は脳が発達し過ぎた。
だから、木から木へ飛び移ることができない。
落ちること、死ぬことの恐怖という感情があるからだ。
アホや。
発達し過ぎて逆にアホになってる。
もう、寝ます。
どうせ私は自殺する勇気なんてないから、ヘタレだから。